ニウエ在住の日本人、和田泰一さんの経歴やプロフィールについて!

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ニウエ在住の日本人、和田泰一さんの、
経歴やプロフィールについて調べてみました!

ニウエは世界で2番目に人口が少ない国として知られています。
ニウエの人口推計:1,888人(2020年)  外務省 ニウエ基礎データより

そのような人口が少ない国に、和田泰一さんは移住されました。

これを読めば、
和田泰一さんの、
気になる

  • 経歴
  • プロフィール

がわかります。

では、どうぞ!

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和田泰一さんの経歴

1998年

19才のときに起業する。

インターネットが普及する初期に、
インターネットを使った英会話学校を立ち上げる。
(オンライン英会話の立ち上げは世界初といわれる)
アメリカ人の先生を雇い、生徒は日本人を集めた。

そのほか、翻訳会社、電話会社、不動産会社、貿易会社など。

電話会社は、日本の大手電話会社から、
アメリカの子会社をやるよう依頼されたことがきっかけ。

不動産会社は、ハワイで行う。建てては販売を繰り返した。

立ち乗りの二輪スクーター、セグウェイを初めて日本に紹介して販売した。
日本総代理店を行う。

2000年

2000年ごろ、国際出会い系サイトで知り合ったロシア人女性との交流により、
ロシアでの彼女たちの暮らしを知り、コロッと価値観が変わる。

ロシア人の彼女は、働いても月給100ドル程度しかもらえない生活だったが、
幸せな生活を送っているのを見て、
泰一さん自身は、アメリカで忙しく働きまわっていたという生き方。

それで、人生お金がすべてではないことを知る。

ロシア人の彼女とはいろいろとあり別れた。

後日談だが、彼女はドイツ人の大富豪医師と結婚し、ドイツで生活している。

2008年

南太平洋の世界で2番目に人口が少ない国である、「ニウエ」に移住。
(ニウエは、ニュージーランドから飛行機で3時間半ほどのところにある。)
⇒参考:ニウエの食べ物や文化と観光について!日本からの行き方も!

そこで、ニウエの国づくりに携わる。
ニウエの首相の補佐官をする。

ニウエのインフラ整備等に私財を投じて、
国の発展に貢献したため、
国民からは『レジェンド』と呼ばれる。

ニウエに行った理由

当時2007年ごろ、泰一さんは上海に住んでいた。
上海はあまりに天気も悪く、公害がひどかった。

このまま上海で生活していると、
体がもたないのではと考えた。
そのときにつき合っていた中国の女性と、
天気の良い国に行こうか、という話になった。

余談:その中国人女性とのなれそめは、
彼女が間違って泰一さんのスカイプに連絡をしてきたこと。

二人は、天気の良い、
ウイグル自治区に行くことにした。
同じ中国だから、ビザも不要で便利。

泰一さんは、農家を買って、ヤギなどを飼って、
農業をやって、一緒にここで住もうと提案する。

彼女は都会の上海出身。
現実に戻った彼女は田舎に住めないと泣き出す。

それで、ウイグル自治区に住むことは諦め、
天気の良い地域で、人口も少ない国をWikipediaで探し始める。

人口少ない順リスト。
一番少ない国、バチカン市国。当時で600人ほど。
なかなかこの国は住ませてくれないだろうと考え、
候補から除かれる。
二番目の国は、ニウエ。当時1300人ほど。

実際にニウエに二人で行ってみた。
夜に到着したのだが、
翌朝の、自然の景色の美しさ、
人のやさしさに触れ、ここならと考えた。
彼女もここなら住めると言う。
彼女は元々ヤシガニが好物で、
ここニウエには、ヤシガニがたくさんいるからだという。

二人はニウエで住むことを決めた。

許可を得るために、ニウエの国会議事堂の受付にいった。
受付のおじさんに、「ここに住みたいんだけど」と伝える。
すると、受付のおじさんは、「いいよっ」と軽く返答。

おじさんにVisaを出してもらって、
家を決めた。

ぼろぼろの家だった。電気も水道も通っていないような。

そこで、大工を呼んでシャワーの設置や、
電気や水道を引いてもらった。
約3か月間ほど完成までの期間を要した。

上海の彼女とは、そこから2年ほどで別れた。

携帯電話を使いたいと考えた

あるとき、ニウエでの生活で携帯電話を使いたいと考えた。
当時ニウエでは、携帯電話のつながる基地局がなかったため、
使うことができなかった。

政府に携帯電話を使いたいと申し出た。

すると、返ってきた返答が、
ニュージーランド政府に対して、
携帯電話の基地局を作るようお願いしているのだが、
基地局を作ることは事業として利益を生むことになるため、
寄付金の申請は下りないと言われたままということだった。

それを聞いて、泰一さんは個人の私財を投じて、
ニュージーランド政府の代わりに基地局を作ることにした。

アメリカの会社に依頼し、基地局を作ってもらった。
800万円ほどかかったという。

基地局をたてた後は、ニウエテレコムに管理を任せた。

それで、ようやくニウエで、
携帯電話を使うことができるようになった。

銀貨/記念コインの話

ニウエでは、銀貨/コインに、
年間に何度も、
模様の異なる法定通貨コインが発行されている。
(発行自体はニュージーランドが行っている)

例えば、エリザベス女王の顔が彫ってあり、
反対面には、スターウォーズのダースベーダーが彫ってあったり。

そんな様々な模様のコインが、ニウエの記念コインとして発行されている。
もちろんキャラクターのライセンス料を支払っている。

たくさんの柄のコイン銀貨が発行されているため、
日本でも人気がある。


 


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2010年~

ニウエで初の、お寿司屋さんをオープンさせる。

そのオープンのいきさつは、
あるとき、泰一さんはマグロを売っているおじさんと出会った。
話を聞くと、マグロの売れ行きが悪いという。
泰一さんも当時ハンバーガーくらいしか食べておらず、
おいしいものを食べたいと思っていた。

それで、一緒にお寿司屋を作ろうかという話になった。

おじさんが魚のネタを提供し、
泰一さんがシェフを連れてくるという役割に。

初年度はうまくいかなかったが、
二年目からは繁盛店になった。

それもあってか、他の同じ規模くらいの島で、
同じレシピであればうまくいくのではと考えた。

それで、北極にもお寿司屋をオープンさせる。

その後、スリランカの山奥で、
ラーメン屋をオープンさせる。

結果、スリランカのラーメン屋はうまくいかなかった。
というのも、スリランカの店舗は、
空気の換気がよくなかった。
ラーメンスープを作るのには、
常に火をつけていないといけない。
店内は、換気がよくないためエアコンを設置するようにした。
そうすると、電気代が負担になってきて、
やっていけなくなった。

コソボ共和国に土地を所有。

アルバニアでウナギ屋さんをオープンさせる。
しかし、コロナにより閉店。

インドのドローン開発企業への投資を行う。
インドでは、若者たちがココナッツを採るために、
木を登るのがおっくうになってきており、
ココナッツを採るのに人材不足の状態。
そのため、ドローンにココナッツを切るためのナイフをとりつけて、
ココナッツを効率よく採るようにした。

2020年のコロナ禍には、
陸路と海路だけを使い、
ほぼ世界一周を旅行し冒険家と言われた。

和田泰一さんのプロフィール

名前はTaiichi Fox / タイイチ フォックス, 日本名は和田泰一 。

1979年に千葉県生まれる。

父はアメリカ人・母は日本人のハーフ。

高校からアメリカに移住。

職業は、事業家で投資家。

興味がでたら、すぐに行動する性格の持ち主。

ニウエ在住の日本人、和田泰一さんの経歴やプロフィールについて!まとめ

以上、ニウエ在住の日本人、和田泰一/タイイチ フォックさんの、
経歴やプロフィールについてでした!

調べていくうちに、泰一さんのフットワークの軽さと、
何事にも楽しみながら挑戦する姿勢が、とても魅力的に感じました!

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